2012/10/28(日)

私が「マレーシア移住」を選んだ理由 〈前編〉

どうしてマレーシアなの?

最近、どこで誰に会っても必ず聞かれるので、ここに記しておきたいと思います。
それにはまず、3.11の1週間後から徳島に滞在し、その後、「東京には戻らない」という選択をしたときの心情からお話ししなくちゃいけません。

地震・津波による被害の甚大さにも打ちのめされるようなショックを受けましたが、さらに原発事故が起こったとき、大げさでなく膝ががくがく震えました。
iPhoneを握りしめ、Twitterのタイムラインを息を詰めて見つめながら、私の頭の中をぐるぐるめぐっていたのは、次のようなことでした。

もしも最悪の事態が起こったら?
首都圏がパニックになったら??

幼い子ども(当時2歳)と中型犬(12kg×2頭)を抱えるわが家は、安全に逃げ切ることは難しいだろうと思いました。
それで、息子を一刻も早く徳島にある母の実家(私にとっては、いわゆるおばあちゃんの家です)に連れて行こうと決心しました。
夫やたまたま上京していた母にそのことを伝えたのは、すでに腹を決めたあとのことです。

「ダンナさんはよくぞ理解してくれて、しかも一緒に着いてきてくれたよね」
「もともと東京の人じゃなかった??」
「どうやって説得したの!?」
……などなど、まったくもって信じられない!! というふうに聞かれることが多いのですが、徳島行きについては、夫はおろかほかの誰にも相談することなく私ひとりで決めました。

もしも相談していたら、「仕事があるから」「まだそれほど深刻な事態ではないから」など、あれこれ理由を並べて東京から動かないことを選択したかもしれないし、あるいはもっと動くのが遅れていたかもしれません。
もしも夫が「自分は東京に残りたい」と言ったら、迷わず置いていったと思います。

でも幸いわが家は自営業で、絶対に会社に出社しなければいけない身分ではないし、PCとインターネットが使えればどこでも仕事ができます。
そこで、私と息子と母は飛行機で、夫は犬と仕事道具一式を車に積んで陸路で徳島入りすることにしました。

ところが、これから徳島に向かうという日の朝、私自身が妊娠していることに気づいたのです。
うれしいという感情よりも先に、正直「よりによってこんなときに……」と青ざめたのを覚えています。

さて、徳島に着いて多少ほっとはしたものの、余震も原発事故も一向に収まる気配がなく、心配で胸がつぶれそうな日々を送っていたのは変わりません。
仕事もあったので、夫と交代でほとんど1週間ごとに東京に戻り、数泊してまた徳島に行く……という暮らしでした。

そのうち強烈なつわりがはじまり、調子の悪い日はソファで寝ころんだまま起きられない、夕方になるとほぼ毎日トイレに駆け込んで吐く、という生活に突入しました。
日本中の誰もが誰かの力になりたいと思っているときに、私はまったく動くことができず、そんな自分にますます落ち込むばかり。

実際、仙台の幼なじみからも避難所の支援方法について相談をもちかけられたのですが、結局「TwitterやFacebookをもっと活用しては」というあまり大したことのないアドバイスと、支援団体のサイトをいくつか伝えるだけで精一杯でした。

息子の保育園の問題があり(公立保育園は、2カ月間1日も登園しないと除籍になってしまうのです)、避難から1カ月半後、徳島に住民票を移すことを決めました。
息子には大人と一緒に家で過ごすより、友だちと遊ぶ時間が必要でしたし、大人は大人でするべきことがたくさんあったのも理由です。
同時に自宅も引き払う決意をしました。(事務所をたたむことを決めたのは、もっとずっとあとのことです)

10年以上暮らし、事務所を構え、たくさんの仲間たちがいて、大好きなお店もたくさんある恵比寿から徳島へ。
しかも、そこに自分の意思は微塵もなく。
この不本意な引っ越しは、ますます私を落ち込ませました。

4月には新しいデザイナーを採用し、事務所のフロアも増やそうと考えていた矢先でした。
ほぼ確定していた大きな仕事をお断りし、採用活動も中止しました。
徳島にいつづけること、そして私自身が無事に元気な子どもを出産することを優先させたのです。

たまに気分転換で外に出ると、無邪気に走りまわる息子と徳島の里山の美しい風景が、東日本で起こっていること、私が置かれた現実とあまりに乖離していて、涙で前がくもって見えなくなることもありました。

そうだ、海外に出よう。
そう決心したのは、つわりがひと段落した夏前だったでしょうか。

きっかけは、息子とおなかの子どもの将来を案じたことだったと思います。
徳島は自然環境はすばらしいのですが、高齢化が進み、子どもが非常に少ないこと、文化的にかなり遅れていることなどが、自分の中でずっと引っかかっていました。

1学年20人いるかいないかの子どもたちが、保育園から中学卒業までずーっと一緒なのです。
子どもには、できるだけ多様な人や文化に触れながら大きくなってほしいと願っているわが家にとっては、徳島に根を下ろすという選択はなかなか難しいものがありました。

その心配を口にすると、有名私立の小中高一貫校をすすめてくれる人もいました。
が、その理由が「あそこの学校はすごい。今年、東大に○人入って……」というもの。

「わー、ごめんなさい、そういうの、まーったく興味ないんです!!」
徳島が誇る名門校ですから、面と向かってそうは言えません。
「そうなんですねー、すごいですねー」と相槌を打つので精一杯(苦笑)。

「文科省のカリキュラムどおりに授業をしない」とか「アートやサイエンスの授業に特色がある」とか「おもしろい人をどんどん呼んで授業をしてくれる」とか、そういうちょっと変わった学校だったら大いに興味あるんですけどね……。

この国でしか生きられない人ではだめだ。
世界中のどこででもたくましく生きていける人にならないと。
でもそれを実現するには、日本の教育システムの中ではきっとだめなんだ。
それが私の結論でした。

じゃあ、息子が15歳になったら留学させるのか?
でも、待てよ……それにはまず親の財力が必要不可欠でしょ。
とはいえこの国の未来は……十数年後も私に稼ぐ能力があるといえるのか?
今は円高だからいいけど、国力が衰えて円安になっちゃったらどうするの??
円安になったら、円を稼げど稼げど……ってことになっちゃわない???

大体、「世界中のどこででもたくましく生きていける人になってほしい」なんて、単なる親の願望の押しつけじゃないの?
自分にできないことを、子どもに押しつけていいの?
それに仮に15歳で外に出すとしたら、あと一緒に暮らせる時間は12、3年しかないんじゃないの!?

そんな自問自答ばかりぐるぐるくり返していたある日、突然、思いついちゃったんです。
「そうだ、家族みんなで海外に出てしまおう。そして、多少かっこ悪くてもいいから、外国でたくましく(図太くともいう)生きていけるところを、子どもたちに示そう」って。

今の自分の状況を東電のせいにしたり、ふがいない政府や行政のせいにしたりしていては、全然だめだ。
私は私の人生を、もう一度ワクワクしながら生きたいんだ!!!

……そして、もちろんこの「海外移住計画」も、夫に話したのは、私の中でしっかり決めたあとでした(笑)。
さすがに最初は「今度は外国かよ!?」と面喰ったみたいですけど、理由を話すと理解を示してくれるようになりました。

徳島ののんびりした空気は、ものづくりを生業としている私たちにとっては、あまりに刺激がないというのも、決め手になったようです。
今では時間があれば英語を勉強していて、意欲満々!
クアラルンプールに引っ越したら、語学学校にも通うようですよ。
四捨五入するともう50のおっさんなのに、なかなか前向きにがんばってます。

さて、そうと決まったら、次は移住先探しです。

……と、ちょっと前ふりが長くなってしまいました。
なかなか「なぜマレーシアなのか?」にたどりつけませんが、今日はこのへんで(苦笑)。

つづきはまた次回!

2012/10/18(木)

強運体質になる方法

先日書いた「占いのチカラ」について、思いのほかたくさんの反響をいただき、早速June Coteに占ってもらったという人たちからの報告もチラホラ届いています。

みなさん自分のことをズバリ言い当てられたことにビックリし、そして次に口にする言葉は「背中を押してもらった気分ですごくうれしくなったし、次のステップが見えてきた!」というもの。
うんうん、占ったほうも、占ってもらったほうも、なかなかいいぞいいぞ!

さて、そんなこんなで調子に乗って、今回は第二弾ちっくなことを書こうと思います。
それはズバリ、運気をアップする方法!

自分は運がいいと思いますか?
それともイマイチだと思いますか?

私自身はそう聞かれたら、「はい、かなりいいと思います!」と答えます。
たぶん私を知っている人のほとんどは、「確かにそうかも」と納得していただけるのではないでしょうか!?

これってなぜだと思います?
生まれつきいい運勢だから?
神様とかご先祖様がついてるから??

答えは、私自身が「運のいい人になる」と決めたから。

なーんだそんなこと!? って思うでしょう?
はい、そんなことなんです。

ここで大切なのは、運の善し悪しではなくて、そうなると「決める」こと。
腹の底から決めると、人生はちゃんとそっちに向いて動き出すものなんですね!

中学生のときのことです。
もともと人と同じことをしたり、団体行動がひどく苦手な私は、公立中学での義務教育は息苦しい以外の何ものでもありませんでした。

しかし残念ながら、日本の教育は今も昔も“出る杭は打たれる”。
(このあたりが、息子たちに海外で教育を受けさせたい理由だったりします)

そこから逃げ出すには、時間が経つのを待って卒業するしかないと思いこんでいたので、当時の私は、お世辞にも「運がいい」とはいえない状況に置かれていたわけです。

でも、ふと思ったんですよね。
運がいい人と悪い人、世の中に2種類の人間がいるとしたら、私はどっちになりたいのだろうか? と。

折しも世間は『マーフィーの法則』ブーム。
母に「おもしろいよ」とすすめられて読んだ純情な(?)中学生は、すっかりその気になってしまったのです(笑)。

『マーフィーの法則』がもしも今、ブームを迎えていたら、現在の私が手に取るかは極めて怪しいのですが(話題の本という面でチェックするかもしれませんが)、中学生のときに読んだことは、その後の私の人生を左右するほどの体験になりました。
ある意味、私の人生にもっとも影響を与えた本の1冊であることはまちがいありません(笑)。

……と、話が脇道にそれましたが、ともかくそれ以来、私は勝手に「運のいい人になった」のです。

今年の夏のできごとです。
都内某所のイベント会場で、久しぶりにいろいろな人と顔を合わる機会がありました。
そのなかのひとりが、私の顔を見るなりこう言ったんです。

「オグラさん、私、結婚したんですよ! オグラさんのおかげなんですう~~!!」

えええええええ、なんだそりゃあ???

彼女が結婚したという事実にも驚いたけれど(失礼ながら、前に会ったときはそんな色っぽい雰囲気はみじんもなかったのです)、そもそも相手を紹介したわけじゃなし、当方、そんなふうに言われる覚えはちっともないわけです。

「それはおめでとう! でも、私のおかげってどういうこと?」
たまらず理由を聞いてみました。すると、彼女はこう言ったんです。
「1年半以上前ですけど、恵比寿でランチしたとき、オグラさんがいろいろ教えてくれたじゃないですか」

ああ、確かにランチした、した。
でもますますわからない。
私、なんて言ったんだっけ???

「結婚したい」願望はある、でも良縁がなく……という30代独身女子にありがちな悩みを抱えていた彼女、なんとランチ直後から、私のアドバイスを忠実に実行したらしいのです。
そして、2カ月後にはなんと運命の出逢いがあり、めでたく結婚したというわけ!!

さりげなく彼女を観察してみると、すごい、最後に会ったとき(ランチしたとき)より断然きれいになってる!
新婚さんらしい、初々しいほのかな色香さえ漂わせていて、その様子から彼女の結婚生活がとてもうまくいっていることがわかりました。
うんうん、なかなかいいぞ!

さて、私が人生のちょっとだけ先輩として彼女にアドバイスしたのは、とてもシンプルなことでした。
私自身も実践しているその方法を、ここに記そうと思います。

◆その1:今の人生を変えたいと思ったら、変わることを心の底から決意する。

中学生だった私が、「運のいい人になる」と決めたのと同じことですネ。

ちなみに運のいいはずの私にも、30代半ば頃、半年以上に渡って公私ともにボロボロの時期がありました。
いわゆる後厄だったんですけど、信頼関係にあったはずの人からは裏切られるわ、かなりの時間を割いて身を削ってつくった仕事が途中で頓挫するわ、失恋するわ、あげく酔っぱらって段差で転倒し、全治3週間の捻挫をするわ、とにかく踏んだり蹴ったりな感じだったんです。

で、私、どうしたか?
家でひとり淋しく缶ビールを片手に酔っ払いながら、「もうこんな人生はやめたい!! 絶対に変えるんだああああ」と、腹の底から自分に誓ったのです。(←今ふり返ると、ものすごいすさんだ光景です)

で、その結果、どうなったか?

1週間後に今の夫と数年ぶりに再会、半年後に再婚しました(笑)。
ね、腹の底から変わると決める力、結構大きいでしょ!

◆その2:いつもと違うことをする。

ものごとがうまくいかないときは、アプローチがまちがっているせいということがほとんど。
だから、いつもと少しやり方を変えてみるのです。

具体的に何を変えればいいかわからないときは、何でもいいんです。
話をするのが大好きな人なら、少し自分の話を控えて、相手の話をよく聞いてみる。
ふだんテレビをよく観る人なら、スイッチを消して本を読んでみる。
いつもと違う通勤コースで職場に行く、などなど……。

なんだそんなこと?
そう、そんなこと!
そんな小さな変化が流れを変え、あとからふり返ると大きな変化につながったりするものです。

◆その3:以前から気になっていることを、とりあえずやってみる。

前から行ってみたいなと思っているところに行く、冷蔵庫や下駄箱など、気になりながらもそのままになっているところの掃除をする、捨てようと思いつつ、ほったらかしになっているものを捨てる、会いたいと思っている人に会う、観たい映画を観る、などなど……。

心にひっかかっているものをいつも持ち歩いていると、その分、運気が下がります。
なるべくすっきり身軽に毎日を過ごしましょう♪

◆その4:自分がイヤな気持ちになる人とは会わない、付き合わない。

実はこれ、いちばん大事なことなのに、みなさんよっぽど人がいいのか、「つきあい」とか「惰性」にまかせている人が多いんですよね。

“イヤな気持ち”とは、好きとか嫌いとかそういうレベルの話じゃなくて、その人といると、なぜか自分が卑屈になったり、嫉妬したり、イライラしたり……一緒にいるだけで自分の中のドロドロとしたイヤなものが出てきてしまう人のことをさします。

会うといつもエネルギーを吸い取られるような気持ちになる人と一緒にいても、全然いいことないです。
限られた人生、大切だと思う人一人ひとりに会おうとすると、もうあと何度も同じ人には会えないことがわかります。
だったら、会うとすごく楽しくて元気になれる人たち、刺激になる人たちと一緒に過ごしたいですよね!

以上、強運体質になるためのオグラ流4か条でした。

……などと、かなりえらそうに書いてしまいましたが、ホントにほしい結果とは、実践した人だけが手にできたりするものだったりします。

だまされたと思って、ぜひお試しくださいね!
そして結果をぜひご報告ください(笑)。

2012/10/16(火)

コンセプトより大事なもの

モノづくりをするとき、「コンセプト」というのは、もっとも重要なキーワードである。
長らくそう思ってきました。

だから、自分がモノをつくるときも、また誰かがつくったモノを見るときも、
「ターゲットは? コンセプトは?」
そんなところにばかり目がいっていたと思います。
コンセプトがいいと、「うーむ、よくできているなあ」と唸ったりして。

でもね、最近あることを大発見しました。

コンセプトだけだと、続かないんですよ!
ブランドも、会社も。
どんなにコンセプトがしっかりしてても、それだけでは、いつか走り続けられなくなるときがやってくるんです。

そのことを気づかせてくれたのは、12年以上一緒に仕事をしているスタッフです。
小社では創業時から2つの柱の1つとしてアパレル事業をしてきたんですが、私がある時期を境に、その業務にまったく情熱を注げなくなってしまったんです。

ちょうどアパレル担当スタッフの妊娠・出産も重なったので、「まあそれなら、しばらくはムリなくできる範囲で」みたいなことになりました。
正直、そのときの私には、それがちょうどよくて、どこか肩の荷が下りたような気持ちでいました。

そんなふうに宙ぶらりんになってしまったアパレル事業ですが、スタッフがたったひとりでコツコツ地道につづけていました。
ありがたいことに、お客さまからも取引先からも、変わらないラブコールをいただいていたので。
でも今、ふり返ってみれば、それにとても甘えていたとも思います。

そんな状態が続いていたある日、起こったのが東日本大震災でした。
悩んだあげく、東京の自宅や事務所、業務の整理をすることになり、それに伴い、アパレル事業についてはデュアルから切り離す決意をしました。

東京から離れてしまうし、そもそもブランドそのものが長らく私の手から離れていたしで、スタッフに無償で権利を譲渡することにしました。
そのときは、それがいちばんいい選択だと思ったのです。

……が、その結果、どうなったと思います??

スタッフは今年に入ってから廃業を決意して、長らく関係のあった取引先との取引を中止。
生産も完全に停止して、ブランドは消えてなくなったも同然の状態になってしまったのです。

もちろん、ブランドコンセプトは誕生当時から変わることはありません。
けれど、マネジメント側だった私にとっても、ブランドを一からつくり、育ててきたスタッフにとっても、コンセプトはモチベーションアップには何の役にも立たなかったのです。

ブランドがなくなってしまったことより何よりショックだったのは、スタッフがモノづくりから完全に離れようとしていたことでした。
彼女のつくるモノが大好きだったし、また一緒に仕事をしたいと思っていたから。

それで、もう一度、みんなで話をしたんです。
そしたら、私自身がコンセプトより大事なものをおざなりしてきたことが、最大の原因だったことに気づいたんです。

それは何かって?

ヴィジョンです。

なーんだ、そんなものかと思いますか?

でも、ちょっと考えてみてください。
スタッフみんなでヴィジョンを共有している会社やブランドって、実は案外少ないんですよ。
ひょっとすると、ほとんどないかもしれない。

震災後、長らく冬眠状態のように鬱々悶々と毎日を過ごしていた私が、この夏、一気に目が覚めたように、自分のしたいこと、するべきことがハッキリ見えてきたというのは、すでに書いたとおりです。

以来、私が決めているのは、まず到達したい結果をできるだけ具体的に描く、そしてそこに向かって走る、ということです。
(今まではどちらかというと、思いついたら即動くタイプでした。何分、せっかちなもので……^_^;)

今ある条件や、できることの中からかたちにしようとするのではなく、ヴィジョンを決めてからかたちにする。
つまり、ボトムアップ方式からトップダウン方式への大転換というわけです。

今までの私、本業の編集業でも、依頼された仕事をこなすので精一杯。
依頼が途切れなかった、というのはとてもありがたいことですし、目の前の仕事を着実にこなすことで、少しずつやりたい仕事につながってきたのも事実。
それはそれで満足だったんです。

でも40代に入り、人生の折り返し地点を実感。
このままでは、やりたいことの半分もできないままタイムアウトだな、と。
だからヴィジョンから考え、それをみんなで共有し、モノをつくりたいって思うようになったんです。

「やりたいことがあれば、それでいいのでは?」あるいは「ヴィジョンを考えるのってちょっとめんどくさい」なんて少しでも思ってる間は、頭をめぐっている“やりたいこと”“実現したいこと”は、ヴィジョンじゃないんです(ちょっと前の私が、まさにそうでした)。

いざはじめてみると、ヴィジョンを描くのって、すごくワクワクして楽しい作業だってことに気づきました。
そして、それをシェアすると、みんなの顔がどんどんワクワクしてくるのを見るのも、また楽しくて!

コンセプトはあとづけでOK。
まずは、明確なヴィジョンから描きます。

それは、会社やブランドなんてちっちゃなことじゃなくて、家族も仲間も、まだ出会っていない人たちのことさえも含めたヴィジョン。
つまりは、残りの人生をどう生きるかってこと。

ごく近い将来、もう一度スタッフとともに新しいブランドを立ち上げようと思っています。
舞台はもちろん、アジア!


以前つくっていたのは、こんなバッグたち。
アンティークの着物地を使った一点モノです。


ハレの日のためのワンピースなども、つくってきました。
また特別な日を彩る服たちをつくりたい気持ちがムクムク!

2012/10/11(木)

占いのチカラ

シアトルに住む友人が、東洋の数秘鑑定をはじめたというので、試しに占ってもらいました。
なんてったってあとひと月ちょっとで海外移住するっていう、考えてみれば人生でも大きな転換期だもんね!

この友人、もともとおばあちゃんが実力のある占い師だったというのは何度か聞いていたし(政治家ばかり鑑定していたそう!)、彼女自身もかなりの占い好き。

独身時代、女ふたりで一緒に飲んでる最中に突然「数寄屋橋の占い師が当たるらしいから、占ってもらおうよ!」と言い出して、酔っぱらったままタクシーに乗り込んで占いに行ったこともあるし、「前世を観てもらおうよ」と誘われて、片腕の悪いおじさんのところに一緒に行ったことも。

一方の私はといえば、占いは「ご縁があれば」程度のお付き合いで、自らすすんで行くことはほとんどなし。
ちょっとした景気づけで、いいものは信じればいいし、そうじゃなければ忘れるだけさ、というスタンス。
だから深追いもしないし、当然依存もしない。
でも、エッセンスだけいいとこ取りしたり、占ってもらうときのドキドキワクワクする感じは、結構好きなのかも。

さて、友人は占い結果をすぐに送ってくれました。
ワクワクしながらメールを開くと、読んでるうちにぞぞぞぞぞぞ……と鳥肌が!

実は30代後半以降、彼女とはほとんど会うことがなくなってしまったのだけれど、会わない期間の私についてや、彼女が知らないはずのわが家のひとりひとりについてまでズバリ言い当てていてもうビックリ!

試しに年がら年中傍らいて、私の人生の逐一を見てきた別の友人にそのメールを読んでもらったら、「ええええええ、全部当たってる!!」と本当に驚いていて、「私も観てもらいたい!」と言い出すほど。

でも、私が何よりうれしかったのは、「当たってる」ってことじゃなくて、運勢も彼女も、私が選んだ道を応援してくれているということが、じんじん伝わってきたこと。
そして、それが家族にとってもいい選択である、と言ってくれたこと。

ぶっちゃけ、「マレーシア行きが本当にいい選択だった」ことにするのは、私自身にかかっているし、家族にとってもそれがよかったかどうかは、わが家のひとりひとりの問題だったりするわけです。
だから、運勢が本当に味方してくれていたかどうかは、もっとずっとあとになってみないとわからない。

でも、彼女は占いを使って私の人生に寄り添い、その先に目を凝らし、それを思いやりに満ちた言葉で伝えてくれました。そのことが、何よりうれしかったのです。

占い結果を読むうちに、最初の「ぞぞぞぞ」は「ぽかぽか」に変わり、最後には感謝としあわせの気持ちでいっぱいに。

移住にあたっては、基本的にはワクワクしているものの、でも少しも不安がないといったらそれはウソ。
そんな私の背中を、あったかい手で「大丈夫だよ! いってらっしゃい!」ってぽんと押してもらった気分。

占いってステキだなあ、こんなにも人を勇気づけるんだ!
このことは、我ながら大発見でした。

ちなみにその友人、東京にいたころはいつもパワフルにビジネスを展開していて、誰かを鑑定するのは趣味程度。生業にしていくつもりはまったくなかったのだとか。
でも、インディアンのシャーマンの血を引くご主人と出会って結婚し、アメリカに渡ったあと、少しずつ鑑定をたのまれるようになったのをきっかけに、もう一度しっかりと勉強しなおしたそう。

現在はクチコミでお客さんを鑑定する彼女、今後はインディアンのパワースポットめぐりのツアーなども開催する予定なのだとか。

インターネットで鑑定をはじめたそうなので、興味のあるかたはぜひ。
もともと人並はずれたバイタリティの持ち主である彼女、そのパワーを占いを通じてわけてもらえるような素敵な鑑定内容です!

June Coteのウェブサイトはこちら

2012/10/04(木)

むすこのスカート

写真は、オトコばかりのわが家にある、たった1枚の子ども用スカートです。
「男の子なのにスカートって??」って思います?

東京に住んでいたころ、大きいチビすけが通っていた保育園には、子ども用スカートが用意されていました。
夕方お迎えに行くと、男の子も女の子もそのスカートを履いて遊んでいます。
ときには、小さいおんぶ紐でお人形を背負っていることも。
男女問わず、おままごとが大好きな時期ってあるんですよね。

でも、徳島に引っ越してみると、保育園にないんですよ、スカートが!
2歳以上の大きい子たちばかりが通う保育園だったせいかもしれません。

当時2歳だった息子は、まだまだスカートを履きたいお年頃。
そこで、ばあばが手づくりしてくれたのが、写真のスカートというわけです。
柄は大好きなミニーちゃん!

保育園から帰ると、ズボンの上からスカート履いて、白くまのぬいぐるみを背負って(ばあばにおんぶ紐もつくってもらいました)。
あんまりにも毎日その格好をしているものだから、親的には「ひょっとして……」と心配になってきて、仕事仲間のオカマのヘアメイクさんに「子どものころ、何で遊んでました?」って聞いてみたことも(笑)。

彼(彼女?)の話では、車とか電車には目もくれず、お人形やビーズが大好きだったんですって。
「もしそっちだったら、大きくなったらいらっしゃい! 面倒見てあげるから」という親切な(?)言葉に苦笑しつつ、「うちの子は車好きだから大丈夫かな?」なんて思ったりして……。

大きくなってから「スカート履きたい」って言われるよりずっといいし、まあ、そっち系ならそれもまたありだと、息子のスカート姿をわが家ではあたたか~く見守ってきました。
「ああ、女の子も欲しかったなあ!」なんて、ときどき思いながら。

さて、ふと気がつけば、スカートの存在は長らく忘れ去られたまま。
一方で時々「オレがさあ」なんて生意気な口を利くようになった息子。
来週には、もう4歳だもんねえ!

ミニーちゃんのスカートは、どうやら完全にお役御免のよう。
ちょっぴりさびしいなと思いつつ、先日「ありがとう」と「さようなら」をしたのでした。