2012/11/09(金)

私が「マレーシア移住」を選んだ理由 〈後編〉

もしもお金があったら
もしも会社員じゃなかったら
もしも現地で仕事にありつけるなら
もしも英語が話せたなら
もしもドラえもんがいたなら

今すぐ日本を出て、海外に移住するでしょうか?
子どもたちを海外の学校に通わせたいと思うでしょうか?

「もしも」でものごとを考えるとき、残念ながらほとんどの場合、私たちはそれを手に入れることができません。
条件から入ると、クリアするべき障害というのは、不思議なことに次から次へと増えていくんですよね。
それは、まるでやらない理由を並べているようなものです。

だからこそ私は「海外に移住する」というほしい結果から描き、動くことを決めました。
お金持ちじゃなくたって、英語力が大したことなくたって、仕事がこの先どうなるかわかんなくたって、ホントに生きたい人生を生きられることを、自分の子どもに見せたかったのです。
同時にそれは、私自身がもう一度ワクワクしながら、イキイキと生きるためでした。

しかーし!!
ことはそう単純じゃなかったのです。

「マレーシア移住」を決めたら、さあ、あとはイケイケドンドンだー!!
そう思ったら大まちがい。

肝心の私の心が、自分の発想にまったく追いついていけず、大ブレーキ(>_<) それは、4月に初めてクアラルンプールに下見に行き、いよいよ海外移住が現実味を増したあともまったく変わりませんでした。 日本に未練があるから? 自分たちだけ逃げ出すことになるから?? なぜこうもスッキリしないのか、長いことあれこれ考えていました。 確かに日本を逃げ出したい理由だけはたくさんあって、いまだに収束しない原発事故や放射能問題しかり、この国の暗澹たる未来しかり、子どもの教育問題しかり……。 そうやって実際にマレーシア移住の理由を並べて気づいたのですが、どれもかなり後ろ向きなんですよね(苦笑)。 「子どもたちのために」と、自分を奮い立たせることはできても、心とは正直なもので、ホントの意味でワクワクすることはできません。 私自身がマレーシアで何をするか? ワクワクしながら海外移住をはじめるには、その答えがいちばん大事で欠かせないことに、まもなく気づきました。 ただ海外移住したい、マレーシアに行きたい、だけではダメなんです。 それだけじゃホントの意味では前に進めない。 現実逃避と何ら変わらないことになってしまう。 で、私は何をしたいんだっけ?? ホントはどこに向かいたいんだっけ?? 考えれば考えるほど、迷宮に入り込んでしまったのでした。 東京には頻繁に通っているとはいえ、基本的には徳島にいる身、しかも妊娠&出産前後ということもあり、誰かとゆっくり会って話して糸口を見つけることもできず、答えを探して本ばかり読んでいました。 日本はどうなっていくのか。 世界はどうなっていくのか。 自分はどうしたいのか。 家族は、仕事はどうしたいのか。 友人や仕事仲間との関係は……? それは、長い長い旅でした。 経済やアジア関連の本から、自己啓発、歴史書、哲学書、果ては『バシャール』まで(笑)、いろいろなジャンルの本を読みました。 1日1冊を心がけたので、1年で300冊以上。 『読書の技法』の著者で元外交官の佐藤勝氏の読書量(月平均300冊以上、多いときは500冊)に比べたら足元にも及ばないレベルですけど、まあ妊産婦にしてはよくがんばったのでは!? 唯一手を出さなかったのは、小説。 ホントは大好きなジャンルなんですけど、ハマってしまうと遠回りになってしまうと考え、あえて自分に禁止令を出しました。 なので、小説はもう1年以上読んでいません。 本屋さんでもその棚だけは、立ち止まりたいのをぐっとこらえて素通りです。 あ、橘玲氏の『永遠の旅行者』だけは、読んだなあ。 「パーマネントトラベラー」の概念と、そのスキームや暮らしぶりが知りたいというのを言い訳に読みはじめたんですが、気づいたら純粋に小説として楽しんでしまいました。 さて、そんなふうに探し求めていた答えは、ある日突然見つかりました。 ただし、きっかけは「本」ではなく、「人」だったんですが。 ある人に恵比寿で偶然再会したあと、まもなくずっと求めていた答えに気づかせてくれる本に出会うことができ、目からウロコが!! そしてその直後、25日間に及んだ9月のクアラルンプール滞在中には、ある晩、めざすヴィジョンが空から降ってきた!!(笑) その具体的な内容については、ただ今準備中なので、ここでは触れません。 でも、まだ誰も見たことのない、あったかくていいにおいのするものをつくりはじめています。 その構想にあたっては、東京に住んでいたころ、かかわってきたNPO法人シブヤ大学や、クリエイター仲間たちと立ちあげた恵比寿発のアートプロジェクトSTART EBISUの活動が、大きなヒントになりました。

すでに書いたとおり、原発事故の直後、息子を最優先して、すべてのプロジェクトを放り出すかたちで徳島に来てしまった私。
そして、今度は海外に行こうとしている。

そのことが、自分の中で長い間ずっと罪悪感となって、「自分はどうしたいのか?」という問いとともに、どうにも消化できずにいました。

そんな折、次の仕事までの時間つぶしに入った恵比寿のカフェで、偶然再会したのが、今も恵比寿に住み、わが家とほぼ同じ年頃の子どもをもち、クリエイターでもある友人でした。
彼女は、開口いちばん私にこう言ったのです。

「わあ、元気? 聞いてるわよ! 今、徳島にいるんだって? いいわよ、それが絶対に正解よ~!」

逆の立場だったら、なんて言っただろう?
「徳島なんていいね、うらやましい。ところで、仕事とかシブヤ大学とかその他の活動はどうなってるの? 大丈夫なの?」
東京より安全な場所にいる彼女とそうでない自分を比べて、そんなふうに意地悪に聞いてしまったかもしれません。

でも、ふり返ってみると、私にそんな言葉をかけた人が一体何人いたでしょう?
ゼロではなかったけれど、限りなくゼロに近いし、そもそも私から距離の遠い人。
友人、仕事仲間、クライアント……大切な人は、みんなみんな応援してくれたのでは?

カフェを出て、駅で彼女を見送ったあと、私は自分にまとわりついていた「罪悪感」が消えていることに気づきました。

30代の後半から、NPOなどの非営利活動にかかわるようになってよかったと思うのは、若い人からお年寄りまで、いろんな世代の人と家族みたいなあったかいつながりができたこと。

先月、恵比寿ガーデンプレイスで「恵比寿文化祭」のイベントがあったのですが、そこで行われた目玉コンテンツの1つが、東京ピクニッククラブによるピクニック!

震災で計画が延期になっていたのが、1年半を経てようやく実現したのでした。
もちろん、かたちにしたのは恵比寿のステキな仲間たち!

ガーデンプレイスのシャトーの前にビビッドなグリーンのピクニックエリアが出現して、かわいいベビープレーンのピクニックマットが敷かれ、そこに大好きな仲間たちが座っておしゃべりを楽しみ、シブヤ大学恵比寿キャンパスの合唱団「Sing! Ebisu」の歌声が響き渡り……なんともステキな光景でした。

隣人が誰かもわからない、ありふれた都会の街だった恵比寿のあちこちでつながりが生まれ、それがさらに新しいつながりを生み出している……。
ああ、これは確かに、活動をはじめた頃、私がたったひとりで描いたヴィジョンだったと。
秋の夕暮れの風はもうすっかり冷たかったのですが、心だけはぽかぽかしていました。

発端は7年前。
強運体質になる方法」にも書いた例の落ち込み時期が開けるころ、「今までさんざん自分勝手に好きなことばっかりして暮らしてきたから、これからは少しでも何か人さまのお役に立つこともしよう!」と、小さなチャリティイベントを企画したことがはじまりでした。

それをシェアしたら、たくさんの仲間たちが賛同してくれて、かたちになって、そのうちシブヤ大学に「恵比寿キャンパスを開校するから」とスカウトされて、恵比寿にますます深く関わるようになって、町会のおじいちゃん、おばあちゃんともたくさん知りあって、恵比寿で最初のアートイベントを実現させて、恵比寿にある約40のギャラリーや美術館ともつながって、街を歩いているとあいさつを交わせる人がたくさん増えて……。

そんなミラクルを、マレーシアでも起こしたいと思います!
そして、それをアジアに本気で広めようと思っています!

人をつなげること。
夢や希望がもちにくい時代にもヴィジョンを描き、それに向かって動けること。

たぶんそれが、私のコア・コンピタンス(最大の強み)。
編集力とか企画力とか、そういう技術的なことじゃないんですよね、きっと。

言葉の壁や、仕事、海外での子育て、日本に置いていく両親、祖母……不安を挙げればきりがありません。
でも、それでも飛び出そうと思うんです。

何もしない人生よりは、何かをする人生を選びたい。
たとえ失敗したとしても、って思うから。

ちょっとそこのあなた!!
「いいな」って思うヒマがあったら、ついてきてくださいねっっ!

とりあえず私、先に行ってますから!!